私が普通の人生を歩めないと気づいた時。
自分の親の、
自殺未遂の現場を見た人は
どれだけいるだろうか?
既に書いたが、私は
超敏感な子ども=HSCだった。
しかし親は、
私がそんな人一倍以上
超敏感な子どもだと知るよしもない。
小学2年生の時に
何の予備知識もなく
父親に連れられて
長崎の原爆資料館に入り
とんでもないショックを受け、
そこから極度の対人恐怖症、
戦争恐怖症になった。
そしてその後、両親の
生死に関わる大喧嘩を何度も目撃し、
しまいには父親の自殺未遂の現場まで
目撃することになる。
「死のうか」と言われたことも
ある。
もう、子どもの精神力では
対応しきれないレベルの出来事が
次から次へと自分の親から
体験させられるのだ_(:3 」∠)_
父親は、それらの出来事を
今でも覚えているのかどうか
知らないが、
生まれて10年経たない間に
人間の業をここまで見せられた子どもが
「普通の人生」なんて歩める訳がないと
思ったのは、割と最近。
色々、精神的な病を調べてから。
子どもの頃の家庭環境は、
死ぬまで自分に影響を及ぼすのだと
身を持って知った。
嫌だったことに関して、
「忘れることも大事」という人も
いるが、
何も知らない子どもの頃の
強烈過ぎる記憶は、忘れられる訳が
ないのだ。
戦争経験者の人の気持ちがよくわかる。
過酷な実体験は、思い出となっても
決して癒されることはなく、
自らの傷、自らの一部として
死ぬまで自分自身に影響する。
私は、普通の家庭なんて知らない、
普通の親子関係なんてわからない、
親族にまで酷い仕打ちを受けたから。
全く、因果な人生だ。
親族にまつわるこっぴどい話は
次回に続く➡️
注)次回も引き続き重い話題ですが、
一応救いのある3部構成になっているので
引き続きお楽しみいただけると幸いです。